コラム

終活研究の経緯─未開のテーマを選んでみて(大学院でのあれこれ・1)

終活を、テーマにする

それは2013年、博士課程前期(修士課程)に入学し、半年が経った頃。
「終活」というテーマを、わたしの大学院での研究の中心に据えることを、決めました。
終活というのは、その動機がたとえ人様に迷惑をかけないというようなものであったとしても、高齢社会で問題とされるさまざまなこと──独居であったり、死後のことであったり、医療のことであったり、介護のことであったり──に対して、高齢者が自らの意思で向き合い備えていくということでもあるのかも、と感じたからでした。

当時は、経済産業省がエンディング産業についての調査報告書をまとめた頃だったり、終活読本ソナエという初の終活専門雑誌が登場した、といった頃。
ニュースでは、エンディングノート、そして墓友などというトピックが取り上げられていました。
そこであれこれと終活について調べ始め、エンディングノートを収集し始め……。
気がつけば、エンディングノート・コレクターと化していました。

終活の、研究計画を立てる

エンディングノートばかり集めていても研究にはなりません。
研究のためには先行研究をあたらなければ話は進まないのです。
とはいえ、当時は、終活そのものずばりを扱った論文はほぼ見つからず、死生観だとか、死に対する備え(尊厳死宣言書、墓に対する備えなどなど)、老後に対する備えや意識といったことが、それぞればらばらの学問分野(医療、介護、文化人類学、心理学、などなどなど)において、先行研究が見られるのみでした。
これらをかき集めてまとめつつ、終活に取り組む高齢者へのインタビュー調査を行う、修士論文の研究計画を立てました。

ゼミや専攻のワークショップで、どきどきしながらこの研究計画の発表を行ったところ。
これがまた、賛否両論といってもよい、二分された反応となりました。
興味深い!と言ってくださる方々もいれば、そんな研究進められるの?終活なんてただの時事ネタじゃないの?とご心配の声をくださった方々も。
そうですよね、そりゃ微妙なテーマですよね……でもわたしには重要なことに思えるのだけどなあ、どうなのかなあ。

当時作った懐かしのスライド

ですがそのおかげで、たくさんのご指摘、たくさんのご質問をいただきました。
都度、頭をぎゅうぎゅうしぼって考え抜いたのを覚えています。
人を説得するためには、なんとなく思っていること、考えていることをしっかりと論理だてて説明する必要があります。それが研究というもの。
けれど、当時はいかんせん修士課程1年目。
まだまだ駆け出しのわたしは、時にご質問・ご指摘に答えられず、というよりもうまく言葉にできず、長い時間考え込み、苦い思いをしたこともありました。
どんなときも、言い返せないというのは悔しいものです。

……こんなことで、ちゃんと修士論文書けるのだろうか?
つづく!

「大学院でのあれこれ・2」につづく